※漢字、仮名遣いは原文のママ。但し「くるくる」「ガサガサ」は原文では縦書きの
反復記号(く)が使われています。また圏点はアンダーラインで表しました。

赤とんぼよ今日は         谷内六郎

 ボクの育った東京の世田谷は、ボクの少年時代には、小川や畑や雑木林ばかりで本当に武蔵野という気分に溢れたのどかなところでした。
 春にはむせるような采の花のにおい、夏には降るような蝉の音、秋には赤とんぼや、その他の色々なトンボが群をなして飛んで来ました。
六郎  そんな少年時代の夕焼と赤とんぼの澄んだ感覚が忘れられずよく今でも絵に描くわけです。それに夕焼小焼の赤とんぼの歌がたいへん好きなのでいつも唱っています。だいたいボクの少年時代に見た絵本や少年雜誌の口絵は牧歌的な田園の子供を描いたものが多く、川上四郎、武井武雄、加藤まさを、本田庄太郎などの諸先生の田園風物詩的な絵に強くえいきょうされているところが多いのです。なかでも川上四郎先生の田園風物詩などは忘れがたいものぱかりで、夕焼空に赤とんぼの飛んでいる絵などを今でもはっきり想い出すのです。そうした絵本を通して感じる夕焼と、又世田谷の畑の夕焼が二重になって、より強く記憶の底に焼きついたように思うのです。
 東京の此頃ではとんぼもまったく見かけないのてすが、時たま、ほんとに珍らしく、庭に水をまいていたりすると、ムギワラとんぼなどが一匹位来る時があります。先日も家内が空地で珍らしく赤とんぼを一匹見つけ、大さわぎをしながら取って来ました。
 ボクの少年時代の夕方近くだと、畑の上をギンやんまなどが群をなし来るのでモチザオをくるくる廻すと、二匹位一ペンにモチザオにくつゝいて取れる時もあって、竹カゴの中に入りきれないほどガサガサと取れたのです。それを物置の中にはなして飼っておいたりしました。
 ギンやんまに噛まれると風邪の時のような熱が出るというような話しを聞いたおぼえがあります。ギンやんまの夕空を飛ぶ季節たしかボクは風邪をひいたのか発熱して床についた思い出も多いです。
 天井の裸電球の中のタングステンが赤く燃える晩、家の中に迷いこんで来るトンボもいました。
 澄明なトンボの羽根のように、澄んだ遠い日の想い出です。
 この紙面からレコードのように歌が出るのだったらボクばこゝで一曲赤トンボの歌を唱いたいところですけど、紙がレコードになっていなくて幸いかもしれません。
 ではボクのトンボの話しはこれでオシマイです。ごきげんよう。
 サヨナラ、赤トンボ。

(昭和36年1月1日 森林商報 新74号)



【谷内六郎】
1921年 東京浅草に生まれる、 
1935年 漫画、カットを新聞、雑誌に投稿し、「キング」「少年倶楽部」に入選して才能を見出される 
1955年 文芸春秋第一回漫画賞を受賞、 
1956年 「週刊新潮」の表紙絵を20年にわたり描き人々に愛される 
1981年 急性心不全で他界

谷内六郎:赤とんぼよ今日は 自筆原稿
※原稿をクリックすると大きくなります。


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