※【】は原文では振り仮名(ルビ)。

とんぼの方言        高藤武馬

 日本の子ともで、、夏から秋へかけて、蝉取りととんぼつりをやってこなかったというものも少なかろう。
  とんぼつり今日は何処まで行ったやら
という加賀の千代の句はあまりに有名だが、芭蕉、蕪村、一茶など、えらい俳人の句集を開いてみても、とんぼの句の見つからないというものはない。
  蜻蛉や取付かねし草の上   芭蕉
  蜻蛉や村なっかしき壁の色  蕪村
  蜻蛉や二尺飛んでは又二尺  一茶
というぐあいである。丈草の旅の句に
  蜻蛉の来ては蝿とる笠の内
というのがあるが、この眼前写生の句を見ると、わたしは古事記雄略天皇の条の、
即ち阿岐豆野【あきづぬ】にいでまして御猟せす時に天皇御呉床【みあぐら】にましましけるに蛔【あむ】御腕をくひけるを蜻蛉【あきづ】来てその蛔をくひて飛びいにき。
とある話を思いだす。この話は書紀にも出ているし、また書紀にはその以前に神武天皇の条に、有名な秋津洲の地名説話かある。
 アキズは勿論とんぼの古名てあるが、この名称がどの程度の地域に残っているであろうか。江戸の俳人越谷吾山の『物類称呼』に、
とんぼう○奥州仙台南部にて、あけづと云。津軽にて、だんぶりと云。常州及上州野州にて、げんざと云。西国にて、ゑんぱと云。
とあって、東北の一隅に行われていることを伝えている。ところが、今日では、このアケズは本州をへだてて、九州の南端鹿児島県から沖縄諸島一帯にかけて南北の両端に分布していることが明らかとなって、新語が生れて古語が周辺におし出されていくという『方言周圏論』をうらづけるにかっこうな形になっている。それにしても、吾山が、アヶズのほかにダンブリ、ゲンザ、エンバの三つの名をあげていることは、今日のとんぼの方言系統をはっきりおさえていておもしろい。すなわち、ダンブリ系は東北を主帯として佐渡ヶ島にも残っているし、エンバ系統は九州西北部一帯に色濃く残っている。ゲンザというのは関東の一部の比較的小区域に今日も行われているが、新井白石が『東雅』の中で、
東方の俗にイナゲンザと云ふも稲熟する時にあるをいふ也。ゲンザといふはエンバの転語也。
といっている。ところが、おもしろいのは柳田先生が『赤とんぼの話』の中て、このゲンザの語源について、
ゲンザは漢字で書げば験者、まじないやご祈祷をする山伏のことで、かれらの目は大きくぎらぎらと光っていた。それゆえにまた同じようなこわい目をしたかまきりのことをゲンザと言っている県もほかにはあるのである。
といっていられる。先生独特のするどい感覚ではある。先生はエンバの語源については語をさけておられるが、トンボの語の意味は、この虫が高い空中からまっすぐに下を向いて飛びおりる挙動を形容したツブリまたはトブリということはと結びつけて考えておられるから、これは『倭訓栞』などの写声語源説と同列のものといえよう。そして、吾山のあげているダンブリ系である。
 とんぼの中でも赤とんぼの方言にかぎってとんがらしとんぼ、こしょうとんぼ、なんぱあけずなど、外来の植物の名を冠せたものが方々にあり、しかもそれが、東のナンパン、西のコショウとだいたい分布に系列のあることが目立つ。 『赤とんぼの話』でも、この命名の心理や系路が先生独特の考察で行われている。
 アケズと共に古いカゲロウの名が、とんぼの名として残存している地域はどうも見あたらないようである。ヤンマがエンバであることはいうまでもない。

(昭和32年10月22日 森林商報 新59号)


高藤武馬(タカトウ・タケマ)
 明治三十九年、広島県安佐郡可部町に生まる。昭和六年、東大国文学科を卒業し、本文執筆当時法政大学教授。かって、雑誌「方言」を創刊編集し、戦後「言語生活」の編集もしたことがある。著者に「萬葉女人像」「萬葉の女たち」などのほか、随筆集「門の中」、句集「紅梅」などがある。

高藤武馬:とんぼの方言  自筆原稿
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