とんぼ頓筆          新村 出

 横井也有の鶉衣、その中でも私の愛讀する百虫譜の首めに出てくるのが、蝶々と蜻蛉。俗曲にもつながって現はれるチョウチョ・トンボ。むかしはテフテフとトンバウ、それが尻尾をきられてチョウチョとトンボ。そこで也有はこれらの二つについて、「蝶の花に飛びかひたる、やさしきものの限りなるべし。それも啼くねの愛なければ、籠にくるしむ身ならぬこそ猶めでたけれ。さてこそ荘周が夢にも此物には託しけめ」と、先ず讃美の筆を進めてから、「ただ蜻蛉(とんぼう)のみこそ、われにやや並ぶらめど、糸につながれモチにさされて、童のもてあそびとなるに苦しきを、阿呆の鼻毛につながるるとは、いと口をしき諺かな。美人の眉にたとへたる蛾といふ虫もあるものを」と一揚一抑した。
 九月号の本誌には[*注参照]、深水画伯の美人画を添へた円地文子女史の文にも、平安女流の「蜻蛉日記」を引かれた所の偶然から、敢て突飛な判断をくだすやうだが、蝶の方はむしろ女性的であって、トンボの方はむしろ男性的な気がしてならない。人界に身を託した蝶には女蝶男蝶の別が存するが如く、トンボの方にも、カラスの雌雄を知らんやとあきらめず、さりとて古川博士(十月号本誌)[*注参照]を煩はさずとも、雌トンボ雄トンボが仲好く飛んでゐる姿を、この八十翁(エイティエイジャアか)でもみることが往々あるのでも判る。閑話休題、とにかく、トンボが男性的な証拠には、あの勇壮活溌なトンボがへり、今でこそバレエなどで、この秋津嶋根の女性も、男性同様、千姿万態、トンボガヘリなどを見せてくれて、吾々をおどろかすから、私のトンボ男性論は成り立たぬと云はれもしようが、然し、トンボ結びをはじめ、トンボからげ、トンボかつぎ、トンボ何々と云った既往の武家時代の事物、いはゆる故實をしらべてゆくと、これらの大抵は軍事に属した兵法に関する所の武人の荒事ばかりのありさまである。何はさておき、秋晴の青空に、蝶々が舞ってゐるやさしい様子と、トンボやヤンマが一上一下トンボガヘリをしてゐる有様とを比べてみると、よしや古風な見方にもせよ、蝶は女性、トンボは男性と概観した所で、敢て横井也有に叱られもしまい。
 何しろ、同縣の三河武士の第一人者たる本多平八郎忠勝が、トンボウ切りの鎗をひっさげて私の味方にくる。いないな、そんな横鎗は何のそのといふなら、第一この日本國の異名たる秋津洲は、トンボの飛ぶ形態から來た称呼といふではないか。それどころではない、森林商報の「軍手」が附いてゐるではないか。
 時勢を省みず、元來フェミニストめいた八十翁が、俄かに三河武士の末流だとて、逆コースをふんで、トンボ返りをして女流に反對でもすると、恩師の上田万年先生が地下で苦笑されようぞ。實は昔々私がティンエイジャーの初めに學んだ漢學塾が、千葉縣佐原の蜻蛉塾(朱子学の栗本義喬先生)といった様な因縁で、お里が現はれて來た迄で。

   (昭和30年1月 森林商報 新38号)

【新村 出[しんむら・いづる]】(1876ー1967)
 言語学者。山口生れ。号は重山。国語調査委員会でも活躍。昭和31年文化勲章受章。
 著に「東方言語史叢考」「東亜語源誌」、没後「新村出全集」が出版される。
 「広辞苑」の編纂でも知られる。

[*注]
 本誌9月号=森林商報 昭和29年9月号。
   円地文子氏の文はこのコレクションに収録
 本誌10月号=森林商報 昭和29年10月号。
   古川晴男氏の文はこのコレクションに収録

新村 出:『とんぼ頓筆』   自筆原稿
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