【本文中の()カッコ内は原文では振り仮名、また下線は傍点です】
 蜻蛉の句         山口誓子

 十年前のことになるが、伊勢の富田の海辺で生を養ってゐた頃、八月も終りに近い或る日、蜻蛉が群がり飛んで私を喜ばしたことがある。そのとき、作った句のことを少し書いてみよう。

蜻蛉の空(くう)を切っては子の鞭(しもと)
 あの辺の子供等は、蜻蛉を取るとき、「らっぽほうえ」と云って、蜻蛉を呼び寄せる。「らっぽほうえ」といふのはどういふ意味なのか、いまだに解らぬが、蜻蛉に呼びかける愛稱のやうなものではないだらうか。蜻蛉が近寄って来ると、子供達は手にしてゐる竹の鞭で叩き落さうとする。その鞭が空を切って、「ひゅうひゅう」「ひゅうひゅう」といふ音をたてる。その鞭にたたき落される蜻蛉がゐると、子供達は駆け寄ってそれを押へ、四枚の翅を指の間に挾んでしまふのである。
 「蜻蛉」は「とんぼう」とも讀めるし「せいれい」とも讀める。「とんぼう」と延ばすよりは「せいれい」の方が歯切れがよい。
 「ひゅうひゅう」といふあの鞭の音を思ひ出すと、澄んだ秋の空氣も思ひ出されて來る。
蜻蛉の海には出でずここに群る
 蜻蛉は濱に群がり飛んでゐた。そんなところにばかりとんでゐないで、もっと廣い海の上に出て飛ばうと思へばいくらでも飛べるのに、金輪際、海の上には出ず、濱を飛びつゞける。飛ぶと云っても静止してゐると云っていゝくらゐで、時々翅をきらきら動かしては身を空中に支へてゐるのである。
 「海には出でずこゝに群る」といふところがこの句の眼目である。「ここ」とは何處? さういふ疑問が出るかも知れぬ。しかし「海には出でずここに群る」と云へば「海に非ざるところ」を想像する。「海に非ざるところ」は、云はでもひとりでに解るのである。
蜻蛉が低く群れゐる中に彳(た)つ
 蜻蛉の飛んでゐる高度は意外に低い。時には私の頭高より低いことがある。すると飛んでゐる蜻蛉は私の身体の周圍を飛んでゐることになる。そして私は群がり飛ぶ蜻蛉の中心に彳ってゐることになる。
 よく聞くと、蜻蛉はお互ひに翅を觸れては飛んでゐる。「さっさっ」といふその乾いたさやかな音は私を喜ばせるが、蜻蛉自身もその音が嬉しいらしく、又しても翅を觸れては「さっさっ」といふ音をたてるのである。
日が没(い)りてとべる蜻蛉のゆくへはや
 蜻蛉はいつまでも群がり飛んでゐる。そのうちに日が没ってあたりが急に薄暗くなる。しかし蜻蛉はまだ飛んでゐる。そのうちに暮色が濃くなった。私は家へ入ったが、暮るゝまで飛んでゐた蜻蛉もさすがにその濱にはもうゐまい。ゐないとすれば蜻蛉は果して何處へ行ったであらうか。夜をどういふところで過すのであらうか。それが「蜻蛉のゆくへはや」である。
 「はや」は嘆きをあらはす古い言葉だが、それを使ってもをかしいことはない。
 
   (昭和29年5月29日 森林商報 新31号)

【山口誓子[せいし] (1901ー1994)】
 俳人。京都市生まれ。高浜虚子に師事。1948年(昭和23年)「天狼」(てんろう)を創刊・主宰。句集「凍港」「遠星」のほか、入門書、研究書、俳論集など、著書多数。

山口誓子:蜻蛉の句   自筆原稿
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