※旧漢字、仮名遣い、句読点等は原文のママ

蜻蛉と童戯        奥村定一

 入梅があけると間もなく都会の童達に蜻蛉捕の行事が始まる 炎天下黐竿擔いで蜻蛉捕蝉取に出掛ける 近所の公園 彼處の原ッパと、中小童共が夫れ來れと待機して居る ギンヤンマが目的である 連接して居るのをオツナガリ オツルミと云って是を目撃しようものなら竿の林立はとつ動いて一散に追いかける 水の上や原ッパで旋回求食して居るものは夫れこそ現代高等飛行のあらゆる特技サカを見せて呉れる 逆落し宙返り旋回空中の不動静止超低空飛行逆転垂直上昇木の葉返し等全く息もつかせぬ早業だ 殊に空中不動静止の芸当、竿が少しでも動こうものならほんに瞬間交はされる。童共は此の不動静止の情態を“スンデ居る”とテクニクる。竿の届かぬ時には独特の鄙びた節で「オーギーンチ(ギンヤンマ)ヤンマ アッチヘ行クトエンマガ睨ムコッチヘ来ルト許シテヤールゾ オーギーンチヤンマ」と数回繰り返しながら旋回の近づくのを待機する たまたま後から来て雌を囮にして失敬して仕舞うものなら夫れこそとんだ修羅場を出現する 東都下町の夏の童児生活の一追想。
 商報四十号に江崎先生の「その技術は非常に発達し沢山の方法がある」と述べられて居る通り筆者のノートに素手取囮使用の採法バカシ釣トンボ網捕(高知。静岡県興津)、ブリ、いけにえ釣等基本的のものから是等をもとにした数々の特技が記されて居る
 ロッカ ロウーサ ロッカ ロウーサ。ロッカ ロウロウ スワ スワレ(以上高知)アブラメン(ギンヤンマ雌特に翅の濃褐色のもの)シヤァリンボ(ギンヤンマ)アブラメンマァレコウ シヤァリンポ マァレコウ ロウカロウカ シャボントスワレ マァレコウ マァレコウ ココゥヤツタ シヤァリンボロゥカ、ロゥカ(ロウカ・ロッカ=連結)清水町  所謂ギンチのオツナガリを見付けると童共は盛んに是を唄ふと間もなく水草の上に静止すると考へて居る。
 ボー ボー ヤマ(ギンヤンマ雄)ボー−……とトンボ網を巧みに操って繰り返し唄ふ 此の網は長三角形の網であるが、昔時鴨捕に使用されて居たものがトンボネットに利用される様になったものヽ由で小童共の為に色とりどりの糸で美はしく出来たものもあるが、中童共は軽蔑して全然使用しない。是の店頭に現われ始めるのが通常雨期あけの頃でこの製作は立派な生計の資になると云ふ 挨の中に漸やく捕えたトンボは今度は勝負の座に上らせられる 地では「噛み合せ」と云って居るがオニヤンマが横綱格である 次ぎはギンヤンマであるが雌は雄より又褐斑のものがよりよく評價されるし交換の段になると雄五・六頭に一頭と云う開きである 愈噛み合せの舞台に上ると翅は無慙にも短かく切られる 暫時の噛み合せに弱ると悪童共は勢付ける為に塩を舐らす肉(シホカラトンボ等の体)が與ヘられる水を飲ます翅底を口にあてヽ力一配吹いてピューピューと鳴らしてやるが間もなく是で終幕打出しとなる 高知のトンボ網捕から一連の童戯である 又よそにもこんなのがある 尻を切って花や草木等を差し込んで放したり水を浴びせたりする 二匹のトンボの尻を糸で繋いで飛せるが両方で引っぱりこして仲々進まない 一方が休むと他方も落ちて來る 或はトンボの綱渡りなんどと打興ずる こんな童戯も教育の進展につれて彼我取捨て恰好のみが次代へと伝承されて行くのであらう。

(昭和30年7月12日 森林商報 新43号)


【奥村定一(おくむら・ていいち)】
 専門は小切手や株券などの証券図案で著名。かつての一円紙幣も氏の作。また在野の昆虫学者としても知られ、自ら「トンボの研究は心の窓です」と言う。蜻蛉は分類学に専念、「ダイモジコヤマトンボ」の発見は特に有名。

奥村定一:蜻蛉と童戯 自筆原稿
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