とんぼと人生 緒方 章
私は東京でも割合いに閑静といわれている品川大井鹿島町に住んでいるが、飛行機や自動車の騒音に朝から晩まで神経をかき立てられている。私ばかりでなく都会人は誰れもがみな知らない間に、そのため多少ともノイローゼ気味である。御蔭で鎮静薬は都会人には、無くてはならない必需品の一つになっているようだ。日曜、祭日に乗物の混雑もかまわず、野山へ逃避する人の多いのも無理からぬことであろう。
すみ渡った秋空に赤とんぼが穏やかに飛んでいるのを見ると、からだが地から浮き上ったようで、天女のかなでる音楽もきこえてくるような気分になり、心のいらだちも自然に静められる。「とんぼ」そのものに、そんな鎮静的な魅力があるのでは勿論ない。萬象が秋という季節の中に生き、清らな四囲の空気に溶け込んでいるから、「とんぼ」の姿が私達を晴やかな気分にさそうのである。とは云え心の持方一つで物悲しくもなり、また楽しくもなるのである。ノイローゼと生命のある「とんぼ」とは直接には何の係わりもない。それだのに可憐なものが黒焼にされて、昔から癇を静める薬となり民間で使われ、身をこがして人間の心の鎮めとなっているのである。それほど「とんぼ」の黒焼は効くものであろうか。黒焼が効くということには、迷信的な要素も多分にあり、またその成分研究も殆ど行われていないために、黒焼は薬として厚生省の監督の下にはなく、商品として雑品に属している。動物の黒焼をよく調べてみると、外観は黒こげであっても、それは炭ばかりではない。含窒素有機成分がかなり含まれているのである。今新薬として盛んに使われている医薬品の中で、いらだった神経を鎮める薬として使われているのは、多くは、含窒素化合体である。そうであるとすれば、黒焼を科学的に研究もせずに、放擲しておくべきではなかろうと、私は常々思っていた。そこえ北支事変が勃発し、だんだんと日本の物資は不足をつげ、この不足は勿論薬品にも及び、薬の資源を新しいものに求めることが要求されるようになってきた。そこで私は助手の高木敬次郎君(現東大教授)と共に黒焼に目をつけ、その中に果して鎮静効力のあるものがあるのか、どうかを調べ始めた。その最初にとり上げたものが、赤とんぼであった。赤とんぼを二百度から三百度で三四時間蒸焼にしたものが赤とんぼの黒焼である。これをアルコールで抽出して精製し、僅かながらも得たものは、気管支筋の痙攣を静める効力のあるものであった。咳や喘息や百日咳に効くと民間で云っているのも満更ら根も葉もない迷信だとは云い切れないように思う。そこで私達は他の多くの黒焼にも研究の手を広げようと取りかかった。その内に終戦になって私にも大学を停年退職の時が来てこの計画は中途で終った。私達は実際に鎮静作用のある化合物を、「赤とんぼ」その他一二の黒焼から分離しているのである。しかしながら、研究結果を綜合すると、集めにくい赤とんぼをわざわざ集め、極めて旧式な方法で僅かな有効成分しか含まないものを作ることには質成しかねる。他にいくらも人工合成でよい鎮静薬は作り得る今日のこととて、静かに秋野を飛んで草木の枝の端に羽を休ませている可憐な「とんぼ」を黒焼にしてまで、私達の神経を休める薬を作る必要はあるまい。秋の情緒に、ひとしおの野趣を添えてくれる「赤とんぼ」は、生きているだけで、充分に私達のいら立った神経を鎭める薬の役目を果していてくれるのである。ただ一つ考えなくてはならないことは、黒焼中には、他の成分もあることとて、私達が研究目的とした、鎮静成分以外にも、いろいろのものが含まれている筈である。それらが綜合して微妙な働をするのかも知れない。これらの点に就ては、私選は研究も実験もしていないので、何とも今いうことはできない。
何にしても秋のペット「赤とんぼ」を、むざむざと黒焼にしてしまうのでは、私達は造物主の恵を忘れていることになる。
( 緒方章先生は薬学博士、東大名誉教授、薬事審議会委員長。明治二十年、大阪市に生れ、明治四十五年、東大薬学科卒。大正八年、学位を受けられ、欧州に留学后、昭和五年、教授に進み、昭和二十三年、現職に就任さる。著書に「臓器薬品化学」「化学実験操作法」などがある。〔赤トンボの黒焼が咳を治おす妙薬になるといわれて、民間療法に用いられているので、先生を煩わし幸い上掲の玉稿を得た)
(昭和32年12月12日 森林商報 新60号)
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