※自筆原稿は散逸

八丁蜻蛉名義考        松井一郎

 ハッチョウトンボは体長一八粍位の現在知られている蜻蛉科のトンボ中、最も小さいものです。このトンボは元来南方系のものですが、我国では、本州の北端青森県にまで、各地の湿原に散在して分布しています。雄は赤色、雌は黄色に黒い条をもった一見アカトンボを思はせるトンボですが、学問上ではアカトンボとは全く別の仲間とされています。
 ハッチョウトンボは、すでに古く、文化・文政の頃からこの名で呼ぱれていたようですが、その名の起りは、最初に尾張国八丁畷で採集 されたためということです。しかし、八丁畷が現在の何れの地点を指すかについては異見があるようです。
 次にそれらの説を紹介し、私の考へも少し加えたいと思います。
 第一の説は、木村幸雄氏が雑誌「採集と飼育」(一九五二年)に述べられているものです。即ち「わが国でははじめ愛知県の八丁畷(今日の熱田の東方という説と岡崎の近くだという説もあるようです)で発見されたところから……名づけられたという……」というものです。この説の根拠はよく分りませんが岡崎云々は別として「今日の熱田の東方」というのは、現在の名古屋市瑞穂区の神明町、市バス松田橋停留所附近のことで、こヽにある明治天皇覧穂碑には八丁畷の地名が明らかに刻まれています。昔はこの地方の水田の湿地が散在し、ハッチョウトンボが生息していたということは充分推察出来ます。現在、覧穂碑のあるところに僅かに水田が保存されておりますが、或はこヽからこのトンボが発見されるかも知れません。又仝地産のハッチョウトンボの標本を所有している方もあるかも知れません。
 第二の説は、大河内存真(一七九六-一八八三)、吉田雀巣庵(一八〇五-一八五九)の二人の尾張本草学者の説です。大河内存真は「日本産昆虫数種についての図説」(文政六―十二年の間のもの)の中で「八七、ハッチョウトンボ、赤卒(アカトンボ)の一種、その形はアカトンボと同様なれど、アカトンボより小形である。これは日本に於て、矢田ノ鉄砲場八丁目にのみ発見せられ、そのためハッチョウトンボの名を有する(雄)」とあります。又、吉田雀巣庵はその著「蜻蛉譜」の中に「大暑の侯、矢田河原の八町場に出る故に名あり」としるしています。彼の説は年代からみて大河内存真の著書によつたものと思はれますが、それより以前、古くからこうよばれていたのかも知れません。この八町場(或は鉄砲場八丁目)が現在どの地点にあたるかは、二、三の古地図をみましたが、明らかではありません。(御存知の方は御教示願います)。しかし今日少数ながら、なおも、守山市と名古屋市の矢田川沿いの地域にこのトンボが発見出来ることは喜ばしいことです。
 ハッチョウトンボの名の起りは今のところはつきり断言出来ませんが、熱田八丁畷産の標本の発見と、矢田八町場の確定が、この問題解決の鍵と思っています。しかし、結局は大河内存真と吉田雀巣庵が主張し、朝比奈博士がいわれているように、「この蜻蛉は我国では既に旧く、文化、文政の頃よりその名称を知られ、ハッチョウトンボの名の起源は最初尾張国矢田河原の八丁畷(註・八丁場)で得られたのに因るという」ことに落着くことになるでしよう。

(昭和32年3月26日 森林商報 新55号)


【松井一郎(マツイ・イチロウ)】
 トンポ研究における町の篤学者として学界に広く知られていた。著書に「とんぼの話」があり、また「日本蜻蛉文献目録(1〕1890年-1956年」を印行した。


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