再會(冬の蜻蛉)        串田孫一

 毎年秋が深まるころに、花にしろ昆虫たちにしろ、しばらくの別れを告げるともなく告げて、姿を消して行く。姿を消して行くもののうちには、渡去する鳥たちのように、移動をして行くものもあれば、私たちの目の前で死んで行くものもある。
 それが毎年のことになると、姿が見えなくなったがいったいどうしたのだろうとも思わず、ただ季節の移りかわりを深く感じるといった工合で、ふしぎとも感じない。
 しかしそれは普段自分が生活をしている場所でのことで、今度こちらがその場所を移動すると、一度別れたものにもう一度会えることがある。東京で桜の花が散り、これでまた来年の春までこの花とも別れることになると思い、それからひと月もたって東北の少し山地の方を旅すると、また桜に会える。
 今私は自然についての記録を特別にっくってはいない。目立つものがあれば日記などにそれとなく書くこともあるが、今年の秋、最後に赤蜻蛉を見たのは何月何日かということはすぐには分らない。
 だが秋の山歩きの、もう日なたぼっこがそろそろ日かげの休憩よりはいいように思われた日、土手を背にして膝をかかえてあたりの木々の葉の色を見ている時、自分の膝へわざわざ向うからやって来て、長いあいだとまっていたアキアカネがいたことは忘れていない。もちろんそれからも蜻蛉はまだどこかで見かけている筈だが、今年はともかくその時が、私と蜻蛉との一応の別れのように思っていた。
 先日十二月中旬に、九州南部の都井岬へ行った。野性の馬や猿がいるのでやや有名になっているところだが、季節がこんな時だったので実に静かでよかった。夕暮のすがすがしい、赤と紫の光線は秋のはじめのようだし、午前の陽射は、あたりの緑がそれぞれのたくましい反射を見せて、むしろ夏のはじめという気分を起こさせた。こんなに暖かいというよりは、暑くてかなわないと気持にさせられた。
 馬の足あとのついている道を岬の方へ歩いて行くと、秋や夏の花が咲いていたし、シジミ蝶やタテハの仲間が、ここでは元気よく飛んでいた。決してよたよたの疲れた羽ばたきなどは見せていなかった。私はこの都井岬で、秋に別れたアキアカネに再会した。それは、何の用があるのか忙しそうに飛び廻っていた。私は咲いている花や見かけた虫の名などを手帖に記していたが、手帖の冬の頁が、こんなに彼らの名前で賑かになって行くと、どうしても季節の上で混乱が生じた。
 蜻蛉はもちろん一匹だけではなかった。群れて飛び交うほどはいなかったが、草むらにも岬の先端の磯にもいた。そして何をしに行こうとするのか海へ向って飛んで行くのもあった。
 上衣を脱ぎ、遂にシャツの腕をまくり上げ、これでやっと蜻蛉が飛んでいてもおかしくないと思った。土地の人に訊ねたら、蜻蛉も蝶も一年中いますよと言っていた。彼らの生活がここではどうなっているのかは、結局は通りすがりの私には分らなかった。    

   (昭和37年1月1日 森林商報 新76号)

串田孫一(くしだ・まごいち):1915年11月12日 東京(芝明舟町)生まれ。父は三菱総理事を勤めた萬蔵氏。東京大学文学部哲学科卒。上智大学、国学院大学、東京外国語大学の教壇に立ちつつ、哲学、文学、音楽、絵画、自然と、幅広く執筆活動を行う。
 1965年大学教授を退いてからは、執筆活動に専念。著書は400册近くにも及ぶ。
 随筆家、詩人、哲学者。


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