【本文中 々々 は、原文では「く」字形の反復記号が使われています。】

 蜻蛉塔のいわれ        草野文男

  眼をたかう心たいらにすこやかに
   観よや光をたのしたのしく
 水上四一・五メートルの尖塔に象徴する蜻蛉によせて、また一般の方々にも、この氣持で琵琶湖を観光していたゞきたいものです。
 澄みきった空高く琵琶湖の上をスイ々々と飛ぶ、トンボの明朗にして健康な雰囲氣を想像して、こうした結果となりました。
 太湖を軽直に楽しみ、そうしてイヤリングと云うかネックレスにたとうべきか、麗湖に人工的な景観をそえたかった文化舘建設の企画は、水上に浮ぶ建物であることをはじめとし、世紀の創作と申されませう。それにふさわしい屋上の飾りとなると、鯱では城臭い、また名古屋城の金鯱には及びもつかん世帯裏のかなしさがあった。とつおいつ色々考えた!
 子供の頃から何とはなしに蜻蛉がすきであった。小学四・五年の頃『土用ぼし石橋の上にとんぽかな』と句になってあるかないか? 作った記憶がある。
 目をクリ々々と油断なく、快活に炎天にもめげず元氣によく飛び廻る姿に、心うたれたのであろうか。
 由来トンボは勝虫と称せられていることは知っていたが、古事記にのっていることまで詮索する暇をもたなかった。性分と申しますか幼い頃からベソをかくことがきらいなので、勝負ごとには一切手を出さんことにしている。
 人のまねをすることもきらいなことの一つである。そんなことからこの虫にひかされているのでなかろうか?
 お蔭で昭和三十四年春、文化舘の企画を思い立ってから二年たらずで、PRと資金集めと、建設とが出来て、羽わたり三米眼玉を光らしつゝ廻る大きさ宇宙一のトンボも出現したわけ。
 勝虫のトンボにあやかり、敏活に暑さにめげず、雨にも風にもひるまず、二年間に八〇・〇〇〇粁を飛び廻った結実であります。
 この建物は資金の関係で善美とは決して申されません。また規模その他も十分にしておりません。しかし東西に比類のない、うつしよの夢をうつゝに実現した浮ぶ建物であること、また内容が綜合的であることをはじめとし、廻るトンボ、廻る噴水傘等々独創と精進のあとを、また清潔感の溢れている点は、大いに認めていたゞけると存じます。
 しかも偏にとんほの撓まざる勤勉と追究性に似かようものと自負しております。
 竜宮城を思わせ夢殿を想像せしめると云われますこの琵琶湖文化舘は、名古屋城、姫路の白鷺城にも伍して、将来蜻蛉城とも云われませう。
 東海道の景物の一つになりつゝあるようです。

 草野文男(滋賀県立琵琶湖文化舘長)



   (昭和36年1月1日 森林商報 新76号)



草野文男:蜻蛉塔のいわれ   自筆原稿
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