赤トンボから鬼ヤンマ       北 杜夫

 トンボほどわれわれに親しみぶかい昆虫も少ない。わが国の古名をアキッ島といったが、これは神武天皇が大和の国の山上から国見をして「蜻蛉のとなめせるがごとし」とのたまわれた故事から発している。「となめす」とはメスオスのトンボが輪のようになって交尾しているさまをいう。トンボは「飛ん棒」からきたというが、アキツのほうがはるかに優雅なおもむきがある。
 どんな人でも、幼いころ、原っぱでトンボを追いかけた思い出のない者は少ないであろう。ただ、近ごろの都会の子供たちは、原っぱもざらにはないから気の毒といえる。
 まず赤トンボである。これは、ナツアカネ、アキアカネ、などのいくつかの種類があるが、一番子供たちにおなじみのトンボだ。あくまでも濃く晴れあがった秋空の下で、彼らは羽を光らせながら群れとんでいる。垣根などには、一本の竹の先に一匹ずつがとまっている。これを子供たちは、トンボが目をまわすよう、指先をぐるぐるまわしながらそっと近づいてゆくが、あんまり輪をかぎすぎて自分が目をまわしてしまう。
 ヤンマとなると、やはりモチ竿が必要だ。ギン、チャン、などというが、これは同じギンヤンマという種類の雌雄なのである。モチというものは南洋方面から伝わってきたらしい。むかしは、駄菓子屋などでモチを賣っていたが、現在の子供たちはモチを知らないだろう。
 もっとも雄大なのはオニヤンマだ。黒と黄の縞のあるカンロクのある奴だ。これは山道をするように飛んでゆく。しぱらくゆくと、クルリと反転して、同じ道を引返してくる。オニヤンマはおおむね自分の領分をもっていて、いつも定まった道をとぶことが多い。
 子供のころ、夏休みに箱根ですごした。山道を歩きながら、網のないときにはステッキでこのオニヤンマを叩きおとした。地面をするように飛ぶので、一刀斉のごとくステッキをふれぱ、けっこう叩きおとすことができたのである。もっとも頭だけとれてしまって、首のない胴体と翅がころがっていたりすることがあって、子供心にもムザンと思った。ある谷間にほそい流れがあって、この流れの上をたいていオニヤンマが往復していた、私たちはこれをザルで捕えた。黄の縞模様がスーゥッとながれてくると、上から水の上にバシャンとザルをかぶせるのである。このやり方だと完全品がとれて、ステッキよりは上等といえた。
 ところがあるとき、谷間の横を通ると、かなり大きな子供が両手に二匹ずつのオニヤンマの翅をはさんで現われた。ヤンマは緑色の大目玉をぐるぐる動かし、わずかにうごく翅をバサバサいわせていた。その子供はメスのオニヤンマに糸をつけて囮にしていたのである。雄はやはり愚かなもので、この方法では一刀斉やザル剣法を用いないでもたやすく掴まえることができるのだ。しかし一度に四匹ものオニヤンマを捕えてしまうなんて、私にはけしからぬことと思われた。私にとってはオニヤンマは貴重品で、ごくたまに一匹をつかまえることで胸をワクワクさせていたのだから。

(昭和36年6月1日 森林商報 新75号)


【北 杜夫(きた・もりお)】
 本名、斎藤宗吉、1927年東京に生まれた。精神病理学専攻、そのかたわら創作を発表し、「夜と霧の隅で」は芥川賞を受けた。昆虫の採集に趣味をもち、週刊公論に連載した「どくとるマンボウ昆虫記」はよく知られている。

北 杜夫:赤トンボから鬼ヤンマ 自筆原稿
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