【本文中のアンダーラインのところは、原文では傍点です】
トンボの近代美 片岡美智
十年あまりもフランスに暮した間に、あちこちの田舎ですごした夏のことを思い起すと、螢の光や蝉の声は目や耳にうかんでくるが、トンボについては記憶が残っていない。
螢といっても、羽があって飛ぶ虫ではなく、みみずのように這う虫でまっ暗な夜の地面の一点からじっと神秘的な光を放っている。私はこの神秘的な夏の夜の森に点滅する無数の光を、一九四二年の夏ロアール河畔の古城に住んでいた時に、はじめてみたのであった。
蝉は、フランスの大半の夏が日本よりもずっと涼しいから、よほど南方に下ってゆかなけれぱその声が聞かれない。私は戦争がとうとう終って交通の便が復旧し、旅行が気軽に出来るようになった一九四七年の七月半ばにパリを発ってリヨンにゆき、そこから観光バスに乗ってナポレオン街道を通りつゝ地中海に面するニースヘ向ったのであった。その途次、だんだんに太陽の照り方が強くなってゆき、「南佛」と呼ばれる地方に入るにつれて土が渇き荒れて植物の種類がすっかり変り、緑の木といっては枝が傘のような形にのびている丈のあまり高くないずんぐりした松ぐらいのものである。「オヤオヤ、海岸に遠くないところの松は松でも、曲りくねった日本の松とはずいぶん違うなぁ……」とひとりごちた私は、急にハッと耳を澄ました。珍しい!蝉の声だ!私は何年ぶりかで蝉の声に接して、俄かに日本の夏を思い出し、故郷懐しの感をしみじみ味った。
ところが、フランス人の画家である私の夫にとっては、蝉は、たヾもう、うるさいしろものでしかないようだ。うっとうしい梅雨期からやっと解放され、その喜びを告げるかのように蝉がミーン、ミーンと鳴き出すと、「なんてやかましい気ぜわしい奴だ……」と主人は憤慨する。
そして、螢の方は、主人にとっては滑稽じみた存在でしかないらしい。といっても、螢をこのように滑稽なものにしてしまったのは、「螢がり」「螢がり」と大騒ぎをする日本人のせいであるようである。岐阜の螢で有名な地方では何十何百となく螢が飛びかい、見事だからきっと主人の気にのるだろうと「ほたる狩り」にさそって下さる方があっても、主人は「馬鹿げている」といって少しも見にゆきたがらない。
それにひきかえ、トンボの方は、わたしたちの庭にたった一匹でも現われゝば、「早く!早く!トンボが来たよ!」と主人が私を呼ぶ。すいすいと軽やかに、四つの細い長い羽を並行にのばしたまゝ、小さい飛行機のように、空間に自由な弧を描いて飛ぶ様は、なるほど近代的である。主人と共に眺めるトンボはこうして、同じ日本のトンボでありながら、昔から日本の俳句や詩の中で歌われてきた淋しい秋を象徴する何か解脱したような姿ではなく、新鮮で近代的な感覚にみち、抽象絵画的な線を描き出す素晴しい昆虫である。
(昭和30年12月12日 森林商報 新47号)
【片岡美智】
1907年に生れ、法政大学仏文科を卒業し、1939−52年フランスに留学、1950年フランス政府の文学博士号を得た。昭和30年当時は名古屋南山大学教授を務める。訳書「ジイド自作を語る」「青い目の日本のぞ記」、自伝「人間、この複雑なもの」などがある。「青い目の日本のぞ記」は筆者の夫君ロジェヴァンエック氏の著書。氏は北フランス出身の画家で、レジェやコルビュジェに師事し、独自の画風をもつ。
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