[]は原文ではフリガナ。 トンボ礼賛 石井 悌
トンボは、だれにも親しまれる昆虫である。私もトンボは大好きであって、トンボが飛んでいないと何となくさびしい。あの大きなサファイヤのように輝く目、水晶のような透明な翅、赤や黄或は青緑に彩られた細長い體は実に上品な感じを與えるものである。夏の頃、ギンヤンマが大空をいういうとむらがり飛ぶ様子は快哉を叫びたい気持にもなる。 トンボは太古から榮えた昆虫であって、メガニウラといわれる太古のトンボの化石は翅を展げた長さが二フィートもある。そんな巨大なトンボが飛んでいた時代を想像しても愉快である。トンボのことを英語でドラゴンフライ、即ち龍虫というが、中國や西蔵では龍は商賣繁昌や幸福の表徴として旗に書いたり龍を書いたものを護符とするから、龍虫とはお目出度い名である。 世界中にトンボの種類はざっと三千種いるといわれるが、わが國には一一四種ばかりいる。わが國は世界中でもトンボの種類が多いので有名であるばかりでなく、ムカシトンボという生きた化石といわれるほど学界で珍重されるものがいるし、なお、オニヤンマの如き、現在いるトンボの仲間では大きい方のトンボがいるわけである。わが國は古来秋津洲[あきつしま]といわれるが、トンボのことを古代にはアキツといったそうである。トンボの言源は中國から見ると、わが國が東方であるのでかくいわれるという人もある。神武天皇が大和の國を眺望しようとある山に登られて、國の形蜻蛉のとなめせる(雌雄が互に尾をつかんで輪になって飛ぶ様をいう)に似たりと、おつきの人たちに申されたという伝説がある。 トンボは、なお、益虫である。ギンヤンマやカクイトンボは夏の夕飛びまわって蚊を食べるし、シオカラトンボはキャベツの害虫であるモンシロチョウをつかまえて食うこともある。その他のトンボもそれぞれいろいろの虫をつかまえて食べる。時には益虫も食べることもあろうが、大部分は害虫を食べるのであろう。 そういうわけで、トンボは実に愛すべき昆虫であるが、ここ二、三年の間にトンボが大へん少くなってしまった。私も、それにはがっかりしているところである。今から二十年前には私の家の前は草原であって、初秋の頃夕方近くなると、ギンヤンマが空高く次から次に飛んできて、草原に近づくと急に低空飛行をやるので、捕虫網でつかまえたものであった。近所の子供らも竹竿にもちをつけて幾匹もつかまえた。そこらの小川や池の畔には子供が多數集って、トンボとりが盛んであった。この夏トンボの寫眞をとろうと近くの田圃の小川に行った。たまにムギワラトンボがさびしく飛んでいるくらいて、ギンヤンマなど一匹も見なかった。これはにくむべきアメリカザリガニの仕業である。このザリガニは昭和六年に神奈川縣の某氏が食用蛙の餌としてアメリカから取りよせて大船で飼ったのが初まりで、それから近県にひろがり繁殖したのである。私の近くの田圃の小川には無數のザリガニがいるので、ザリガニ取りが集ってくる。中にはバケツにいっぱい取ったものも見た。私も網ですくって見たことがあるが、すくうたびに二、三匹かゝった。ザリガニのかき揚もなかなかうまいという。このザリガニが水棲昆虫を食ってしまうのであろう。トンボばかりでなく、ホタルも近年少くなってしまった。悪いものが繁殖したものである。稲もかじるし、畦に孔をうがったり、実にこまったものだ。ザリガニを食い殺す天敵でも輸入したいものだ。 (昭和32年1月 森林商報 新54号) 【石井 悌(イシイ・テイ)】 明治二十七年、神奈川県に生れ、東京農科大学卒。農学博士。昭和三年と五年に学術研究のため、南方に赴き広く足跡を印している。終戦后は東京農工大学長をつとめ、寄生蜂研究の世界的権威である。著書に「南方昆虫記」「農業昆虫学」「なく虫をたずねて」「武蔵野昆虫」その他がある。 |
石井 悌:『トンボ礼賛』 自筆原稿
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