※使用されている漢字、送り仮名、仮名遣い等は原文のママです。

 冬越しするトンボ        石田昇三

 ひねくれものは何処の世界にもいるものと見える。日本をはじめ温帯地方にすむトンボは大抵秋の終りに姿を消してしまい、卵か幼虫の形で冬を越すのであるが、トンボの世界にも住みよい夏を水の中で過し、そろそろ秋風の立ち初める頃から地上にあらわれ、肌さす厳寒にふるえながら冬を越し、春先きに水ぬるむ池え卵を産んで一生を終る臍の曲った輩がいる。我我の身近な処にもオツネントンボ・ホソミオツネントンボ・ホソミイトトンボと呼ばれる三種の臍曲りが住んでいる。オツネントンボと云う名前は年を越す(成虫で)トンボとの意味である。又ホソミは細身で、身の細い事を表わしている。これらの臍曲り屋さん達はいずれも三糎位の糸の様に細い胴をした可愛らしいトンボである。
 これらの中、オツネントンボは中部ヨーロッパ各地及び南ロシアから東え日本に至るまでずっと住んでいて、早くも明治四〇年に内田清之助、矢野宗幹先生らによって親のまゝで冬を越す事が知らされた。他の二種は元来援かい地方に住むトンボで、日本では関東以西の土地に見られる。冬越しの判ったのは戦后の事である。その后冬越の状態等については各地で色んな人達によって観察研究され、ホソミオツネントンボとホソミイトトンボでは可成り詳しい事まで判って来た。
 東海地方ではこれら親で冬を越すひねくれ者の中、ホソミイトトンボが一番普通に見られる。お正月詣りに近くのお宮え出掛けて、森の片偶の日溜りで突然トンボに出合ってびっくりする事があるが、大抵はこのホソミイトトンボである。
 秋も終りに近くなり、そゞろ火鉢が恋しくなる頃、今まであちらの茂み、こちらのやぶ蔭に遊んでいたトンボは風当りの少ない日のよく当る場所へと次第に集って来る。そして日なたぼっこのかたわら盛んに小虫のごちそうをパクつく。然し気温が下るにつれてだんだん元気がなくなり、しまいには灌木や下草の茂みの中等でそれらの細い枝や茎等にとまって動かなくなってしまう。四日市で調べた処ではホソミイトトンボが飛ぱなくなるのはおおよそ攝氏十四度位と思われる(活動限界温度)。活動をやめてしまっても、割合に暖かい中は近寄ったり、触ったりすると、とまっている物の裏側へ廻ってかくれるが、温度がもっと下って四度位になると、触っても動かなくなってしまう。トンボは寒さが続いている間は幾日でもこのまゝじっととまって過すが、気温が活動限界温度以上に達すると、早速かくれ家を飛び出して遊んだり、食べたりし始める。一月二月の厳寒期でも、風の無い暖かい日には、日中日溜りで可成り元気に飛び廻っているのが見られる。初詣での道でトンボに出合うのは決って暖かい日中である。
 この様にして冬を成虫で越したホソミイトトンボは、春未だ他のトンボが表われない中に灰褐色を基調とした越冬中のジミな色合いを美しい藍色の晴着に替えて池に来て産卵を初める。桃の三月も下句の頃である。その后五月頃まで可憐な姿を池の畔に見かけるが、大形のトンボと入れ代りにその姿を消してしまう。
 オツネントンボもホソミオツネントンボも共に似た様な経過で冬を越すものと思はれる。「にくまれ子、世にはゞかる」ではあるまいが、トンボの中で親になってから一番長生きするのはこれら膀曲り屋の連中である。オツネントンボは約十月から一年も生きている。ホソミオツネントンボもホソミイトトンボも数ケ月から十月も生きる。兎に角面白いトンボである。  

   (昭和35年1月1日 森林商報 新71号)

石田昇三(いしだ・しょうぞう): 筆者は四日市市に在住し家事のかたわらトンボの生態研究に従った。日本蜻蛉同好会会員。


石田昇三:冬越しするトンボ   自筆原稿
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