蜻蛉の語源        北條忠雄

 鳥や虫の名前というものは、多くはその習性や生態などの中で、私達の心をもっとも惹きつけ易い特質をとりあげて名づけてある。
 たとえば、鳥などは、鳴声をとらえたものが多い。郭公鳥のカッコウ・ハッコウ、葦切の行々子・ケケズ・キョキョズなどみなそれである。ホトトギスなども、「弟恋し」と聞いてそれにまつわる伝説が各地に流布されているところをみると、やはり鳴声から来たことが知られる。鳴く虫も、スイッチョ・キリギリス・コオロギなどいずれも鳴声をさながらに写し出した命名である。
 ところが、蜻蛉には、飛ぶ羽はあっても、それをすりあわせて微妙な音色をかもし出す発音装置もないし、又、蝉のような腹鼓の持ちあわせもないのである。結局、蜻蛉は視覚に映ずる特徴から名づけるより外はないということになる。奈良時代のアキツは「秋つ虫」で「秋の虫」の意味であり、これは秋という季節にあらわれてくる赤トンボを本来指したもので、ついで蜻蛉の総称となったものらしい。そうするとアキツは蜻蛉のあらわれる季節による命名ということになる。当時カギロという語も見えているが、これは蜻蛉の中の一種類(たとえばヤンマ)の名かそれとも総称か、はっきりしないが、とにかくカギロは「炫る虫」【炫は「火」扁に「玄」。かぎるむし】でキラメキカガヤク虫の意味であるようだ。それならそれは蜻蛉のどこをとらスえたかということになるが、あの透きとおるばかりのきれいな羽が太陽の光線をうけてさまざまにきらめくところからとも考えられるし、或は頭即眼玉といっていいような大きな眼玉のきらめくところからとも考えられる。
特にあの鬼ヤンマなどの眼玉は、総体は緑がかった青色であるが、その奥の方からは更に微妙複雑な光彩がきらめき、いかなる美光を放つ宝石も及ばないという感じがする。
 秋田県では蜻蛉をアゲズ・アゲズコという地域もあるが、これは古語のアキツが多少訛って今に残ったのである。その外の地域では)ダンブリ・ダンブ・ジャンブ・ザンブ・ドンブ・ドブ・ドブリンコなどいい、これに類した呼称は東北の各地にも見えている。他、山形・会津などではドンバというらしい。これらの呼称は決して新しい発生ではなく、文献にトンバウの見える平安末期或はそれ以前にあらわれたものであって、トンバウが伝播していく間に転々と訛っていったものとは考えにくい。蜻蛉の語原は正しくこのあたりから考えられそうである。岩手県ではヤチ(湿地・本来アイヌ語)にいる蜻蛉をヤチコといい、秋田の平鹿郡ではヤンマのことをノンマというが、それはノマ(沼)のあたりを飛翔するところから来ている。岩手でヤンマをヌマダンブリというのも同じである。これらは蜻蛉の発生し飛翔し或は更に産卵する場所から来た命名で、いわば棲息地域から名づけたものといえる。ところで、ダンブリ・ダブ・タンボ・ドバ・ドンブ・ドンボというような語が、全国でどんな意味に用いられているかというと、それは悉く湿地・淵・泉・淀・沼・池・水たまりなどの意味に用いている。大阪ではボウフラ(蚊の幼虫)をドンブリというところがあるらしいが、これはドブに棲息するからであろう。こう考えて来ると、蜻蛉をダンブリ・ダブ・ドンブ・ドンバなどいうのは、大阪のボウフラと同じく、それが泉・淵・溝・湿地等に発生し飛翔し産卵するから名づけられたことが明らかである。即ちこれも棲息地域による命名である。文献に見えるトウハウは東條先生のお言葉(当コレクションの東条操「とんぼ名義考」)に見えるようにトンバウと発音されたかと思われるが、これに近い方言は前にしるした山形・会津のドンバである。ドンバがいわゆる雅語、或は都会風の表現となれば、国語には本来語頭の濁るものがないからトンバとなり、それが伸びたのがトンバウであろう。バが伸びればバウ〔bau〕となる。「今」がイマからマ更にマウ(現代はモウとなる)、「然(さ)」がサウとなるのと共通した現象である。  (昭和30年10月3日)
(註)ダンブリ・ダブ・ドンブリ.ドブ等はいずれも水などの蕩揺する状態(或は音)を摸した擬態語或は擬声語であろう。それはショボ ― ショボショボ ― ションボリ、フワ ― フワフワ ― フンワリ、ボタ― ボタボタ ― ボッタリなどを参考すれば容易に肯かれる。

   (昭和30年11月18日 森林商報 新46号)

【北條忠雄[ほうじょう・ただお]】
 東北大学国語学科にて国語史特に上代語を専攻、また方言の研究を行う。著述「秋田方言の国語学的観察」そのほか多くの専門論文がある。趣味として野鳥の飼育と観察に関心が深かった。


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