※【】は原文では振り仮名(ルビ)。斜体及び《》は編注

萬葉集の蜻蛉        東 光治

 萬葉集のなかで、蜻蛉を虫として詠んだ歌に次の三首がある。

   秋津羽の袖振る妹を玉くしげ奥におもふを見たまへ吾君(巻三)

   秋都葉ににほへるころも我は著じ君に奉らば夜も著るがね(巻一〇)

 前者の秋津羽(蜻蛉羽)は、トンボの羽は薄く美しいものだから、羅【ウスモノ】の衣になぞらえたのである。後者の「あきつは」は、別に秋津葉、即ち紅葉の意とする説もあるが、他に用例はないのだから、矢張りこれもトンボの羽と解する説の方が多いようだ。

  つぎねふ 山城道【ぢ】を 他夫【ひとづま】の 馬より行くに
   己夫【おのづま】し 歩【かち】より行けば 見るごとに 哭【ね】のみし泣かゆ
   其思【そこも】ふに 心し痛し たらちねの 母が形見と 吾が持【も】たる
   まそみ鏡に 蜻領巾【あきつひれ】 負【お】ひ竝【な】め持ちて 馬かへ吾背(巻十三)

 蜻蛉領巾は、蜻蛉の羽のような薄くて美しい羅の領巾の事で、領巾とは、上古婦人の肩からかけて飾りとした細長い布帛の事である。
 集中には、以上の他に、蜻(又は秋津)、秋津の川、蜻野【アキツノ】、蜻蛉の宮などが、大和国の地名として詠まれている。又大和国或は日本の古名としての蜻島【アキツシマ】(又は秋津島)も詠まれている。古事記では、雄略天皇の御腕を刺したアブをくわえ去ったトンボを稱【たた】えて、倭【ヤマト】の国を蜻蛉島とし、又その土地を阿岐豆野と名付けたのだとし、日本書紀では、神武天皇の三十一年四月に国見をされて、蜻蛉【アキツ】の臀【トナメ】する如しと言われたので、国号となったとある。大和の地形は、囲りに山があって、トンボが交尾して雌雄輪になって飛ぶ状態に似て居ると見られたのであろう。編注:斜体部()、ロ偏に占。》
 大言海の様に、アキとは稲の事で、稲の豊熟する国の意だと解し、或は武田祐吉博士の様に、「アキツは明つ神のあきつと同語で、現にこの世界にある美しい国土の意と思はる」と解すると話は別となるが、何れにしても同音であり、同じ蜻蛉の字を當てることもあるからには、これらの地名とても、あの可憐にして勇敢なトンボに重大な関聯性のあることは否めないであろう。
 尚、萬葉集中では、カギロヒ(陽炎)の借字として、蜻火又は蜻火とも書かれている。又「ひ」、「ほのか」などにかゝる枕詞の「たまかぎる」に対しても、玉蜻、珠蜻、玉蜻などとも書かれて、カギルの借字となっている。本草和名に「蜻蛉、加岐呂布」、和名抄に「蜻蛉、和名 加介呂布」となっていて、萬葉時代には、蜻蛉をアキツとも、カギロフとも呼んでいたことがかである。編注、虫偏に廷。は判読できない。》
 さてトンボはトンボウの略稱だが、今日では前者が本名となってしまっている。トンボ、ヤンマ、イトトンボ、カハトンボなど蜻蛉目の昆虫の総名で、種類が多い。前記の古事記朝倉宮の段に、蜻蛉を訓して阿岐豆としているから、アキツがトンボの古名であることには間違いはない。しかし古來アキツの名で呼んだものは、今日のトンボ類のみならず、更にカゲロフ類(蜉蝣目)、ウスバカゲロフ類(脈翅目)などの昆虫をも含めた総名であったのであって、これらを更にカギロフ(轉じてカゲロフ)とも呼んでいたのである。要するに萬葉時代には、アキツ、カギロフは異名同物であったのだが、平安朝に入ってアキツは主として今日のトンボ類の名として用いられるようになり、羽のひよわいカゲロフ類とは分離して考えられて来た。更に全末期頃からトンボウの名も生れて、全く別種の名となったのである。  

(昭和31年1月1日 森林商報 新47号)


【東 光治(ヒガシ・ミツハル)】
 明治28年に生れ、東京大学理学部動物学科卒業。京都帝国大学講師、京都府立医科大学講師、相愛女子専門学校教授、大阪経済大学教授等を歴任した。著書に「萬葉動物考」「続萬葉動物考」「萬葉動物、写真と解説」「生物暦」などがある。

東 光治:萬葉集の蜻蛉  自筆原稿
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