川柳子の見た蜻蛉 江崎悌三
古川柳の中には俳句とあまり違わない写生句がある。ことに虫を詠んだものは観察が素直で、それをズバリと大胆に描写している点では主観的な俳句よりも一層好ましい。 赤とんぼの大群が初秋の空を彩るのは江戸の名物で、実際今でも関東から北へ行くと方々で見られる。一体どこからあんなにたくさんの蜻蛉が生まれてくるのかと驚くばかりである。 赤とんぼ空を流るゝ龍田川 (柳多留 一) 紅葉に譬えたわけであるが、実際はこれよりもずっと早く現われるのである。 樹々よりは先へ染出す赤とんぼ (武玉川 十七) 赤とんぼは始めは色が悪いが、だんだん美しい紅色に変って来るので、「染出す」というのも、文字通り頂いていいのである。 また東京の赤とんぼの大群は、きまって南から北へ向って飛ぶ。 とんぼうも猪牙も南へ尻をむけ (柳樽拾遺 二) 猪牙[ちょき]は申す迄もなく吉原通いの舟である。 蜻蛉はまた誰でも興味を引く虫で、大抵な人は子供の頃には追いかけ廻した覚えがあろう。従って一寸した蜻蛉の習性も、いつとはなしに細かく観察しているものである。 とんぼうは飛びそうにしてよしにする(柳多留 十八) 実にうまい句だと感心するのである。また棒や竿の先などに好んで止まることも見逃してはいない。 長噺とんぼうのとまる鑓[やり]の先 (柳多留 初) のんびりした風景が眼に見える様である。 蜻蛉の雌雄が交る方法は大変に変っていて、昔から人がよく観察しており、また他の虫に全く見られない独得のものである。二匹がただ連って飛んでいるのは、アベックで手をつないでいるのと同じわけで、本当の交尾をするときは後の方の雌が尾を曲げて前へ突きだし、面白い姿勢をとる。日本を「秋津洲」というのは神武天皇が丘に登って景色を眺め、「猶蜻蛉[あきつ]の臀呫[となめ *注]の如くもあるか」と言われて、出来た名であることが、日本書紀に記されている。どこの地形だったのか解らないが、蜻蛉の交尾の形を連想されたものである。 がさがさと云ふと蜻蛉つるむなり (末摘花 四) 川越しはとんぼのつるむ気味があり(柳樽拾遺 二) 観察はなかなか辛辣である。 蜻蛉釣りは子供たちの夏の遊びとして全国的なもので、雌を使って雄を捕る法や、関西の如く「ぶり」という道具で釣る法、鳥黐で刺す法など、その技術は非常に発達し、たくさんの方法がある。また子供達の蜻蛉の種類や雌雄や、年齢の識別と命名、習性についての知識などには驚くべきものがある。大きな「上等」な蜻蛉のために、小さいのを捕えて裂いて食わせたりする。 梨子割や胴切になる赤とんぼ (川傍柳 三) わたくし達も子供の時分の蜻蛉とりを、懐しく思うことがあるが、昔は寺小屋へ通うのをサボつて、蝉や蜻蛉を追いかけたファンもあったらしい。 あく筆の後悔蝉やとんぼなり (柳多留 三十一) (昭和30年3月 森林商報 新40号) [ ]は原文ではフリガナです。 *注:「呫」の字、ブラウザによっては表示されないかも知れません。「くち」扁に「占」です。 【江崎悌三[えさき・ていぞう]】 明治32年生まれ。理学博士。「昆虫と動物学」専攻。著編書に「日本昆虫図鑑」「原色日本昆虫図説」など。趣味として川柳に明るい。 |
江崎悌三:『川柳子の見た蜻蛉』 自筆原稿
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