芝居のとんぼ 尾上梅幸
女形の私が立廻りの「とんぼ」のお話しをするのもどうかと思ったのですが、それを中心にとのお話ですから知ってゐる事を二、三申し上げてみましょう。
いささか固くなりますが、「とんぼ返り」というのは「気合ひもろとも空中で身体を迴転する舞台上の動作=技」をさして申します。ちょうど蜻蛉が空を飛ぶ時の軽妙な振舞ひに似ている処から来ている語源で、芝居のほうでは「筋斗(とんぼ)」という文字を使っています。
これが歌舞伎の中に用ひられているタテ=立廻りの中の一つの型としてとり入れられてゐるのです。
とんぼはいろいろある立廻りの中でも殊更技術を要す重いものと云へましょう。
ともかくこの技術を習得するには、永い間の一方ならぬ修練と、一面優れた指導者に恵まれる事が肝要です。その上で序〃にコツを体得して、舞台の上で単に返れるばかりでなく、芝居の雰囲気にマッチするまでに至るのは早くても十年の年月が必要です。
次にとんぼ返りの種類ですが、普通クルリと返ってポンと立つ「かへりだち」、返って両手と片足で体をさゝへる「さんとく」(これは火鉢の中へ入れる五徳と同じように三つの肢足で姿態をさゝえるところから起こって、私達の言葉で三徳といいます)、高い処から平舞台へ廻転して落ちる「かへり落ち」、ある物体をとび越す「かへりこし」、その他座ったまゝで廻転する「平馬返り」なぞが主なるもので、その他いちいち挙げたらきりのない程の種類があります。
「かへりこし」では戦前の歌舞伎座で、亡父(六代目菊五郎)の権太、大和屋の小父さん(三津五郎)が小金吾で「千本桜の小金吾討死」を上演しました時、今の私門弟梅祐が十二人の上をかへりこして飛んだ事がありました。この頃でも、昨年の「蘭平」や今度の「弁天の大屋根」なぞ立廻りとしては激しいものでしょうし、とんぼの欠くべからざるものの最たる狂言でしょう。
このとんぼの稽古は、まず両の手首を左右から手拭を巻いて介添へして貰ひ、駆け出してきたハズミで宙返ることから始めて、段々に介添えを一人に減らし、更に単身で返るようになる順序ですが、私なぞも幼い頃から亡父(六代目)の訓導をうけ「とんぼ」をさかんに練習させられたものです。亡父は舞台の上の事なら表裏百般に通じてゐましたが、殊に「立廻り」中でもとんぼの事はやかましく、例へば自分の出場でなひ時でも、わざわざ舞台の上手下手へ立って目を光らせ、ダメを出してゐましたし、戦前は勿論、戦後もいち早く演舞場の裏手へ「とんぼ道場」を新設するなぞ、後進養成に懸命でした。そのお蔭で現在私共、菊五郎劇団には「とんぼ」の巧者が沢山揃ってゐます。
前後とりとめのなひ話を申上げ、飛んだ尻切れとんぼになりましたが、この辺で。
(昭和29年4月29日 森林商報新30号)
【七代目尾上梅幸 (1915ー1995)】
歌舞伎俳優。1947年(昭和22年)七代襲名。温厚、実直な人柄で、玉手御前、相模など女方のほか、判官、義経、久我之助など貴公子役がすぐれている。
1968年人間国宝。
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