※使用されている漢字、送り仮名、仮名遣い等は原文のママです。

  渡りをする赤とんぼ        馬場金太郎

 夏に登山すると、山頂に夥しい赤とんぼが群れいて、殊に朝や夕方の群飛乱舞には驚嘆する事がある。これはアキアカネと云って、秋になると我家の庭先や電線に行列する赤とんぼである。この山頂のアキアカネはいわば避暑としゃれているのであって、生れ故郷は遥か麓の水田であり秋には又故郷の平野へ帰って行くのである。とんぼが燕や雁又は鰻や鮭の様に、自分の生れ故郷から遠くへ旅して産卵の為に後に再び故郷に帰って来る――昆虫の中にも渡りをするものがある――と云う事が分ったのは戦後の日本の昆虫学会の輝かしい業蹟であろう。
 アキアカネの故郷は日本の北海道や本州、四国、九州の平野で、殊に関東平野、濃尾平野、越後平野の水田はその主なものである。大体六月末から赤とんぼが出始めて七月には大発生するが、一般の人はそれと気付かない。と云うのは此の頃は未だ体が赤くなっていない、つまり赤とんぼになっていないのである。羽化直後で体も軟弱で低く短かく飛び専ら草の間や樹陰に止って、秋の赤とんぼの様に高く遠く飛んだり高い所に止ったりする事がない。それに羽化するそばから次々に山の方へ移動し去るのも人目につかない所以である。その移動を見るとてんでに日一日と高い山へ移る事が多いが、時には沢山のとんぼが上昇気流に乗って次々に山頂に吹き流されて行く事もある。
 高山のアキアカネは一日一日と數を増し、七月末ともなれば既に夥しい大群となって登山家を驚かす。山頂で日を経る中に体も硬くなり赤くなって本当の赤とんぼとなる。何よりも生殖腺が成熟し交尾や産卵の出来る一人前になる。八月も終りに近づくと山頂は急速に気温が下ってはては霜や霰が来始める。するとアキアカネは寒さに追はれる様に山を降り始めるのである。
 丁度初夏の移動と逆に、山を下るにも二途がある。日一日と次第に低地へ移るのもあるし、また一挙に山嶺から平野に向って大集団で飛び移る事もある。集団の場合は常に雌雄がつるんで一組となって飛び、こうした一對が秋晴の微風の午前八時前后に目路遥かに空を覆って飛ぶのは壮観である。私が越后柏崎でみた集団移動は最盛期の十五分間に約八六〇組のつがいが私の頭上を通過したし、この移動で刈羽平野は一挙に毎平方粁あたり三五四〇匹の赤とんぼが増えたと推定されたのである。
 では平野に赤とんぼが姿を現わすのはいつ頃か? 私の住む越后では早い年は九月十二、三日で遅い年は十八、九日になる。東京や名古屋ではもう少し遅れるであろう。丁度此の頃數日の降雨が続くと赤とんぼの平野侵出は一時中断されて、その後の好晴にどっと全平野に赤とんぼが充ちあふれて一度に秋らしい風景となる事がある。
 さてこうしてアキアカネの長い距離の渡りが分ってみると、日本の他のとんぼの習性も新しい目で見直されねばなるまい。事実其后の多くの觀察で、とんぼは皆多かれ少かれ渡りの習性のある事が分って来た。例えば豆の様に小さいハッチョウトンボは僅か数米の渡りをするし、リスアカネは数十米、マダラナニワトンボは数百米、そしてナツアカネは数粁の渡りをする事が分って来たのである。
 ではなぜこんな特筆すべき習性がひとり我国でのみ発見されたのであろう? 恐らく欧米にはアキアカネの様な大移動をする赤とんぼがいないか、いても少いのであろう。その意味で此の発見は豊かな我国の自然が私選に与えてくれた天恵の一つであり、アキツ島なればこそのこの発見でもあろう。

   (昭和34年4月1日 森林商報 新68号)


馬場金太郎:渡りをする赤とんぼ   自筆原稿
※各頁をクリックすると、原稿が大きくなります。一部商報編集者による書き込みがあります。
4 3 2 1


トップへ戻る


tombo_each